◆ 内部被曝通信 福島・浜通りから ◆

《58》 ベラルーシの教訓から福島をみる 2013年4月13日

今回のベラルーシ訪問は、日本チェルノブイリ連帯基金の神谷さん達、ひらた中央病院の二瓶さん、佐久間さんと一緒に行ってきました。1991年からゴメリ州を中心に、子供達のために活動を続けていらっしゃいます。今回は、なんと97回目のベラルーシ訪問だそうです。

チェルノブイリ連帯基金は、震災直後、髙橋享平先生のもとにいち早くガラスバッジを持ってきてくださいました。その頃から色々とウクライナやベラルーシの情報を教えていただいています。

ゴメリ医科大学にも行ってきました。設立が1991年、チェルノブイリ事故から5年後です。それほど歴史のある大学ではないようですが、設立当時は物資不足も深刻で、血液内科領域では顕微鏡がある程度。白血病では、骨髄性かリンパ性かの区別を付けることすら出来なかったそうです。治療方法の判断のため最も大切な情報ですら分からなかったのには、ちょっと驚きました。しかしながらその後、信州大学の医師達の献身的な支援により、ゴメリ州立病院の小児血液病棟の先生と連携し、1996年に小児幹細胞移植が初めて行われました。

大学の医師達とも何人か話をしましたが、事故自体がかなり風化している印象を受けました。もちろん、人によって異なることなのでしょうが、チェルノブイリ事故後に医者になった方も多く、「もうそんな頃のことはわからない。その後の健康診断が定期的に行われている、ということ以上にはよく知らない。今もやっているでしょ。それ以上はよくわかりません」という医療者も少なくなかったのです。

人間は、忘れていきます。健診や最低限の検査体制が早期に確立されている必要があることを強く感じました。継続的な検査もそうです。色々と公表されている通り、現在の生活上での内部被曝、外部被曝は低くなってきていることはわかっています。しかしながら「今後、少なくともxxxの間は検査を継続的にやっていこう、そしてその検査はxxxが担当します(または、この検査はとりあえずxxxで終了にします)」といった、もう少し大きなプランが見えたほうがよいのではないかと思います。

なし崩し的に始まった検査が多いことは仕方ないにしても、ある程度のコンセンサスも無いまま、なし崩し的に終わってしまうと、時間経過した後にはしっかりしたものが残っていないかもしれません。

ちょっと愚痴になりました。そうはいっても、ベラルーシでは普段通りの日常診療が淡々と行われ、それが健康を守っている。そんな印象を受けました。今の福島も一緒です。多くの医療者が今までやっていた診療を淡々と続けていらっしゃり、この土地の医療を、健康を支えています。

ゴメリ州立病院の産婦人科に訪問した際、産婦人科の医者は足りているのですか?という質問に対して、「現役で働いている産婦人科医の半分は年金をもらう世代です。彼らが完全に引退した後、我々はどうしたらよいのか」という返事が返ってきました。どこの国でも同じような話をしているな。と思いました。



ベラルーシのゴメリ医科大学にて、レーニン像なのですね

→アーカイブ一覧へ