◆ 内部被曝通信 福島・浜通りから ◆

《124》 高校生が知る被災地の現実 2014年8月19日

8月上旬、神戸の灘高校の生徒たち約15名が相双地区にやってきました。学年は離れていますが、私自身の後輩たちです。灘高校の東北訪問は今回で15回目、2012年春に始まり相双地区の他に気仙沼など様々な地区を訪問し、震災から3年経った今も続いています。

灘高の遠足や見学の類いは昔からなぜか、現地集合(かつ現地解散)です。生徒たちは教諭に連れられて数日間かけて地域を見て回ったり、ボランティア活動をしたり、被災された住民の方や学校の先生、農家や酪農をされている方、復興の仕事に当たられている方など様々な人から現状、問題点、今までの経緯を聞いて回ります。地元の高校生との交流もしており、以前訪れた灘高生と相馬高校生の交流は今も続いていると聞きます。違う地域の生徒同士の交流は非常に大きな刺激になるようです。お互いの可能性が広がっているように感じます。

とある夜に、南相馬市立総合病院の及川副院長とともに彼らにお話をしに行きました。私はいつも通り放射線の基礎的な部分と、現地の検査と結果について。及川先生は「リーダーシップとは何か」という題で、震災の当日から数日間、病院のリーダーとしてどういう行動をし、何を考え判断したかについてお話しされました。対策本部の立ち上げ、情報収集、指示命令系統の整備など被災の直後に何が必要か、生徒たちは真剣に聞いていました。

自分自身がそうで反省すべきなのですが、高校の授業を受けていた際、一種の万能感を感じていた気がします。数学、物理や化学が楽しく、世の中、分かっていることがこんなにもたくさんあり、数式や法則、論理で現象を説明しつくすことができる。説明できないことなんてほとんどない、みたいな感覚です。でも実際は、むしろ分からないことがほとんど。医学も圧倒的に進歩はしたのでしょうけれど、ほとんどの病気は治すことができません。ある程度折り合いをつけたり、症状をやや改善させたり、対応することはできたとしても、です。今の灘高生がそうだ、といいたいわけではないのですが、関東の他の大学で理系の生徒に話をするとその傾向は強くなるように感じます。ともあれ今回、灘高生たちの「被災地なのだから○○であるはず」といった感覚は、見事に裏切られたのではないでしょうか。

線量は低い、けれども自分は帰らない。そして、その逆の話。復興の状況も聞き、生徒たちは夜遅くまでずっとディベートをしていました。OBとして、多くの地元の皆様にご尽力いただいたことに感謝申し上げます。きっと彼らにとって大きなプラスになったと感じます。

もう阪神大震災の後に生まれた世代なのですね。引率の森本先生、お疲れ様でした。毎回アレンジしてくださる元灘高教諭で、今は福島県内で働いていらっしゃる前川先生、いつも貴重な機会を与えてくださる和田校長に感謝申し上げます。



生徒の前で話をする前川先生

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