今年の夏は、約一ヶ月間、ほぼ毎晩、クラゲの映像を見ていました。何百回見たかわかりません。同時に、ショパンの「ノクターン・夜想曲」を聞き続けました。
「KURAGE」の、映像と楽曲の組み合わせを決めるためです。「夜想曲」なので当然ですが、ノクターンほど、夜にふさわしい曲はないような気がします。聞けば聞くほど、そのすばらしさを改めて実感することになりました。また、クラゲの浮遊は、何百回見ても飽きることがありませんでした。
どうしてこんなに心が平穏になるのだろうと思いながら、ノクターンを聞き、クラゲを眺めるうちに、不思議な感覚にとらわれるようになりました。まるで「癒やし」という概念が身体に染み入ってくるような、そんな感覚です。
「今日という日が終わった、そして今、夜の中に、君はいる」
「いろいろなことがあったかも知れない、だが君は今日という日を乗り切った」
「君は、今日も、また生き延びることができたのだ」
「だから、明日に備えて、ゆっくりと休めばいい」
クラゲとノクターンから、そういった語りが届いてくるような気がして、癒やしとは、「静かで控え目な肯定感」なのだと思いました。その「肯定感」を共有してもらいたい、その思いがこの「KURAGE」には込められています。
快く協力をいただいた科学ジャーナリスト・映像作家の水口博也さん、そしてポーランドが生んだ偉大で精細な「ピアノの詩人」F・ショパンと、演奏者のトルコ人ピアニスト、イディル・ビレット女史に、改めて敬意を表したいと思います。
―2012年秋 村上龍